マスコミの注目を集めやすい一方、学問的競争圧力低いという日本古代史

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『世界で一番シンプルで科学的に証明された食事』(津川友介著、2018413日)が発売10日間で10万部と売れている。この本が売れた理由は、マスコミや書店などでエセ健康情報が溢れるなか、UCLA助教授である著者が科学的根拠に基づき、「本当に健康によい食事は何か」という読者の長年の問に明快に応えたことにある

 著者は、エビデンスにもレベルがあると主張する。しかも、この本で紹介されているエビデンスは、メタアナリシスという複数の研究結果をとりまとめて得られた「最強のエビデンス」だというのだ。

 

 注目すべきは、こうした(より高いレベルの)科学的根拠に基づいた情報発信が他分野にも波及するかである。

 

 人文系ということで分野は異なるが(正しい手続きに従い、実証されているかという意味で)、例えば、古代史の分野はどうであろうか。天皇陛下が来年に譲位されることもあり、大きな書店で日本の古代史のコーナーを眺める機会があった。素人目にも何とも(悪い意味で)空想的と感じられる書籍が並んでいた。専門の研究者がこの現状をどのように考えているか調べてみた(怪しげな本が多いというのは、政治経済などの分野でも同様だが)。

 

 結論として、古代史を専門とする専門家も、こうした傾向を苦々しく思っているようだ。1990年の時点でも、西本正弘氏が「マスコミ邪馬台国論の功罪」(『歴史科学』一二一、一九九〇年)のなかで、学問的に問題が多い書籍が多数世に送り出されていることを危惧しており、1967年にも警鐘をならしていた研究者もいたと述べている。同論文のなかでは、とりわけ、『「邪馬台国」はなかった』(一九七一年)、『失われた九州王朝』(一九七三年)、『邪馬台国の論理』(一九七五年)、『ここに古代王朝ありき』(一九七九年、いずれも朝日新聞社)などを執筆した吉田武彦氏と、一九六七年に、『邪馬台国への道』(一九六七年、徳間文庫)、『神武東遷』(一九六八年、徳間文庫)、『卑弥呼の謎』(一九七二年、講談社現代新書)、『高天原の謎』(一九七四年、講談社現代新書)などを執筆した安本美典氏に注目し、その論説の問題点を指摘している。

 

 最近では、仁藤敦史氏が「「邪馬台国」論争の現状と課題」(『歴史評論』七九六、二〇一四年)のなかで、多くの「邪馬台国」論争について、「資料操作の基本を踏まえない、独りよがりで断定的な議論もしばしばみられ、健全な学術的検討に耐えられるものはそれほど多くないことも指摘できる」と、西本氏と同様な主張をしたうえで、邪馬台国魏志倭人伝を正しく論じるためのポイントを指摘している。

 

仁藤氏は、邪馬台国論争に1つの混乱が起こっているのは、基本資料が「魏志倭人伝」に限られることに加え、邪馬台国の位置論争というアマチュアでも参加できる魅力的な要素があることが多くの関心を集めたとしている。実際、この分野の「ヒット作」を見ていると、もともと門外漢と思われる著者が少なくないように感じる。仁藤氏は、このテーマを論じるときには、厳密な史料批判、東アジア的分析視角、考古学成果との対比といった重層的な検討が重要であるとし、この論文のなかでその注意点を挙げている。

 

 仁藤氏は、「日本の古代史」がマスコミの注目を集めやすい分野である一方、このテーマに関する研究者の意識的な純粋な学術論文がそれほど多くないとしている。つまり、日本の古代史を専門としている研究者自身が、この分野における知的な意味での競争圧力が低いと述べているのである。

 

 津川氏が執筆した健康に関する学術的な領域は、研究者の層も厚く、かつ、国際競争の激しい分野であると考えられる。その結果、怪しげな主張は一時脚光を浴びることがあってもいずれは淘汰されていくだろう。その一方、日本の古代史の分野は、研究者自らが論文の数が少ないと述べる領域であり、競争圧力はそれほど強くないようだ。

 

津川氏の新刊は、津川氏のようなアプローチの成功が今後、他の分野にも波及するのか。競争圧力があまりない分野においては、知の正確さを今後、どのように維持するのかについて、とても考えさせられるものであった。