「王権」を冠する日本史に関する著作は、歴史学ではなく文化人類学の手法

日本史に関する書籍について、「王権」を冠する書籍が確実に増えている。
実際、日本古代史を専門とする大津透教授も、『神話から古代へ』(講談社学術文庫、2017)のなかで、「日本史に関する書籍のなかで最近しばしば目にするのが、「王権」という用語である」と述べている。大きめな書店に行けば簡単にその事実を確認することができるが、国会図書館のサイトでも「王権」に関する著作を検索すると、2017年、2018年分だけでも以下のような書籍群を確認することができる(それ以前もかなり多いが省略)。

埋葬からみた古墳時代 : 女性・親族・王権 (歴史文化ライブラリー ; 465) 清家章 著. 吉川弘文館
平安時代の后と王権 東海林亜矢子 著. 吉川弘文館,
中世王権の音楽と儀礼 猪瀬千尋 著. 笠間書院
九州王権と大和王権 : 中小路駿逸遺稿集 中小路駿逸 著. 海鳥社
東国尾張ヤマト王権 : 考古学からみた狗奴国と尾張連氏 : 大阪府立近つ飛鳥博物館平成29年度春季特別展 (図録 ; 72)
太田茶臼山古墳の時代 : 王権の進出と三島 : 高槻市立今城塚古代歴史館平成29年春季特別展
任那」から読み解く古代史 : 朝鮮半島ヤマト王権 (PHP文庫 ; お78-2)
日本古代君主制成立史の研究 北康宏 著. 塙書房

大津教授は『神話から古代へ』のなかで、「王権」は本来、文化人類学、象徴人類学の概念であると以下のように述べている。

「王権」は、A・M・ホカードの『王権』にみられるように文化人類学・象徴人類学の概念で‘‘Kingship’‘の訳語である。ホカードは、ポリネシアや東南アジアをフィールドワークの中心として、さらにインド・ヨーロッパ・エジプトにおよび、即位式の分析などを通じて、全地域に見える神聖性を明らかにした。本来は、まだ国家が成立していない未開な社会を中心として、権力の発生や権威のあり方を分析する概念である。

 つまり、大津教授によれば、王権という言葉を使用している著作は、文化人類学の手法を用いていた著作であるという認識でよいようだ。実際、大津教授も、「文化人類学的な視点、民俗学に注意して分析しなければ、いくら歴史学であるといっても王権論にはならない」と述べている。
 もちろん、歴史学者である大津教授もこうした状況に満足していないようだ。歴史学者である今谷明氏が、「天皇に関する議論に、歴史家の発言があまり顧みられず、哲学者や思想家・文化人類学者が活発に発言するようになって久しい」と約20年前に述べたことに対し、「歴史家は、事実に基づいたことでないと発言できないから、勝手な発言はできないが、中世と近世を中心に研究の蓄積がたまってきたので、歴史学の発言も加えていきたい」という趣旨の発言をしている。
 
私たちが「歴史学」の本だと思って手に取ったものは、文化人類学の手法で書かれたもの(もしくは、文化人類学的なバイアスが相当かかったもの)が少なくないということのようだ。

マスコミの注目を集めやすい一方、学問的競争圧力低いという日本古代史

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『世界で一番シンプルで科学的に証明された食事』(津川友介著、2018413日)が発売10日間で10万部と売れている。この本が売れた理由は、マスコミや書店などでエセ健康情報が溢れるなか、UCLA助教授である著者が科学的根拠に基づき、「本当に健康によい食事は何か」という読者の長年の問に明快に応えたことにある

 著者は、エビデンスにもレベルがあると主張する。しかも、この本で紹介されているエビデンスは、メタアナリシスという複数の研究結果をとりまとめて得られた「最強のエビデンス」だというのだ。

 

 注目すべきは、こうした(より高いレベルの)科学的根拠に基づいた情報発信が他分野にも波及するかである。

 

 人文系ということで分野は異なるが(正しい手続きに従い、実証されているかという意味で)、例えば、古代史の分野はどうであろうか。天皇陛下が来年に譲位されることもあり、大きな書店で日本の古代史のコーナーを眺める機会があった。素人目にも何とも(悪い意味で)空想的と感じられる書籍が並んでいた。専門の研究者がこの現状をどのように考えているか調べてみた(怪しげな本が多いというのは、政治経済などの分野でも同様だが)。

 

 結論として、古代史を専門とする専門家も、こうした傾向を苦々しく思っているようだ。1990年の時点でも、西本正弘氏が「マスコミ邪馬台国論の功罪」(『歴史科学』一二一、一九九〇年)のなかで、学問的に問題が多い書籍が多数世に送り出されていることを危惧しており、1967年にも警鐘をならしていた研究者もいたと述べている。同論文のなかでは、とりわけ、『「邪馬台国」はなかった』(一九七一年)、『失われた九州王朝』(一九七三年)、『邪馬台国の論理』(一九七五年)、『ここに古代王朝ありき』(一九七九年、いずれも朝日新聞社)などを執筆した吉田武彦氏と、一九六七年に、『邪馬台国への道』(一九六七年、徳間文庫)、『神武東遷』(一九六八年、徳間文庫)、『卑弥呼の謎』(一九七二年、講談社現代新書)、『高天原の謎』(一九七四年、講談社現代新書)などを執筆した安本美典氏に注目し、その論説の問題点を指摘している。

 

 最近では、仁藤敦史氏が「「邪馬台国」論争の現状と課題」(『歴史評論』七九六、二〇一四年)のなかで、多くの「邪馬台国」論争について、「資料操作の基本を踏まえない、独りよがりで断定的な議論もしばしばみられ、健全な学術的検討に耐えられるものはそれほど多くないことも指摘できる」と、西本氏と同様な主張をしたうえで、邪馬台国魏志倭人伝を正しく論じるためのポイントを指摘している。

 

仁藤氏は、邪馬台国論争に1つの混乱が起こっているのは、基本資料が「魏志倭人伝」に限られることに加え、邪馬台国の位置論争というアマチュアでも参加できる魅力的な要素があることが多くの関心を集めたとしている。実際、この分野の「ヒット作」を見ていると、もともと門外漢と思われる著者が少なくないように感じる。仁藤氏は、このテーマを論じるときには、厳密な史料批判、東アジア的分析視角、考古学成果との対比といった重層的な検討が重要であるとし、この論文のなかでその注意点を挙げている。

 

 仁藤氏は、「日本の古代史」がマスコミの注目を集めやすい分野である一方、このテーマに関する研究者の意識的な純粋な学術論文がそれほど多くないとしている。つまり、日本の古代史を専門としている研究者自身が、この分野における知的な意味での競争圧力が低いと述べているのである。

 

 津川氏が執筆した健康に関する学術的な領域は、研究者の層も厚く、かつ、国際競争の激しい分野であると考えられる。その結果、怪しげな主張は一時脚光を浴びることがあってもいずれは淘汰されていくだろう。その一方、日本の古代史の分野は、研究者自らが論文の数が少ないと述べる領域であり、競争圧力はそれほど強くないようだ。

 

津川氏の新刊は、津川氏のようなアプローチの成功が今後、他の分野にも波及するのか。競争圧力があまりない分野においては、知の正確さを今後、どのように維持するのかについて、とても考えさせられるものであった。